朝倉義景– tag –
-
合戦解説と時々考察
信長公記 解説 太田牛一 写本私的翻訳 1573年 浅井・朝倉 終焉
【木戸・田中城攻め】 1573年7月26日 信長公直ちに高島方面へ大船をもって、参陣し、陸にあがり、敵城の木戸・田中の両城へ取り掛かられ、海手の者大船を進めて攻められた。信長公は馬廻りをもって、攻めようとしたところ敵は降参し、罷り退いた。則ち木... -
合戦解説と時々考察
信長公記 解説 太田牛一 写本私的翻訳 1573年 室町幕府 崩壊
【松永久秀 赦免】 1573年 冬に松永右衛門佐が赦免により多門の城を明け渡した。ただちに山岡対馬守が定番のために多門に赴いた。 正月8日 松永弾正 美濃の岐阜城へ罷り下り、天下無隻の名物 不動国行を進上して礼を述べた上に以前には世に隠れ... -
合戦解説と時々考察
信長公記 解説 太田牛一 写本私的翻訳 志賀の陣
【合戦の背景】 姉川の戦いにて、浅井・朝倉軍に勝利した織田軍であったが、浅井・朝倉はすぐにでも軍勢を出してきた。 【志賀の陣】 9月16日 越前の朝倉、浅井備前守軍勢3万が坂本方面へ攻め寄せた。森三左衛門が宇佐山の坂を下り、迎え撃ち、坂本の... -
合戦解説と時々考察
信長公記 解説 太田牛一 浅井三代記 写本私的翻訳 姉川の戦い 1570年
金ヶ崎の戦いからなんとか撤退した信長が反撃に 有名な姉川の戦いですね。一体なにがどうなったのか。ワクワク 信長公記を基に見てみましょう! 【合戦の背景】 越前の朝倉家に攻め、木目峠を越えている最中に突如、浅井長政の裏切りにより、挟撃されると... -
合戦解説と時々考察
信長公記 解説 太田牛一 写本私的翻訳 金ヶ崎の戦い 1570年
今回は、越前朝倉家との戦いで、途中から撤退戦になります。 なんで撤退したのですか? ある重要な人が裏切ったんですね。信長公記を基に見てみましょう 【合戦の背景】 足利義昭を奉じて上洛した信長 諸将に上洛するように頻りに促していたが越前の朝倉...
1