信長公記– tag –
-
合戦解説と時々考察
信長公記 解説 太田牛一 写本私的翻訳 1573年 伊勢、1574年河内長島
【北伊勢に出陣】 9月24日 信長 北伊勢に至りて馬を出され、その日は大柿の城に泊まられた。25日 大田城の稲葉山に陣取り、近江州は、つふ・おふじ畑越えて、26日桑名方面へ軍勢を打ち出した。西別所に一揆が立て籠もっていた。これを佐久間右衛門、羽... -
合戦解説と時々考察
信長公記 解説 太田牛一 写本私的翻訳 1573年 浅井・朝倉 終焉
【木戸・田中城攻め】 1573年7月26日 信長公直ちに高島方面へ大船をもって、参陣し、陸にあがり、敵城の木戸・田中の両城へ取り掛かられ、海手の者大船を進めて攻められた。信長公は馬廻りをもって、攻めようとしたところ敵は降参し、罷り退いた。則ち木... -
合戦解説と時々考察
信長公記 解説 太田牛一 写本私的翻訳 1573年 室町幕府 崩壊
【松永久秀 赦免】 1573年 冬に松永右衛門佐が赦免により多門の城を明け渡した。ただちに山岡対馬守が定番のために多門に赴いた。 正月8日 松永弾正 美濃の岐阜城へ罷り下り、天下無隻の名物 不動国行を進上して礼を述べた上に以前には世に隠れ... -
合戦解説と時々考察
信長公記 解説 太田牛一 写本私的翻訳 1572年 虎御前山 築城
【北近江 出陣】 1572年 3月5日 信長公 北近江に出陣され、赤坂に陣取り、次の日横山に至りて着陣。 3月7日 敵城 大谷と山本山の間 50町には過ぎず、その間へ進入し、野陣を張られた。余呉・木本に放火した。北近江の諸侍皆々は、このような余... -
合戦解説と時々考察
信長公記 解説 太田牛一 写本私的翻訳 1571年 比叡山延暦寺焼き討ち
【磯野丹波守降参】 2月24日 磯野丹波守が降参し、佐和山城を明け渡し進上して高島へまかり退いた。丹羽五郎左衛門を城代として配置した。 【箕浦の戦い】 5月6日 浅井備前守 姉川までまかり出て、横山へ差し向け軍勢を配置し、陣を構えた。先陣の... -
合戦解説と時々考察
信長公記 解説 太田牛一 写本私的翻訳 志賀の陣
【合戦の背景】 姉川の戦いにて、浅井・朝倉軍に勝利した織田軍であったが、浅井・朝倉はすぐにでも軍勢を出してきた。 【志賀の陣】 9月16日 越前の朝倉、浅井備前守軍勢3万が坂本方面へ攻め寄せた。森三左衛門が宇佐山の坂を下り、迎え撃ち、坂本の... -
合戦解説と時々考察
信長公記 解説 太田牛一 浅井三代記 写本私的翻訳 姉川の戦い 1570年
金ヶ崎の戦いからなんとか撤退した信長が反撃に 有名な姉川の戦いですね。一体なにがどうなったのか。ワクワク 信長公記を基に見てみましょう! 【合戦の背景】 越前の朝倉家に攻め、木目峠を越えている最中に突如、浅井長政の裏切りにより、挟撃されると... -
合戦解説と時々考察
信長公記 解説 太田牛一 写本私的翻訳 美濃国攻略 稲葉山城 1567年
稲葉山城は、信長により岐阜城となり、信長の居城となった重要なお城の一つですね。 金華山の上にあり、天然の要害を利用した城としても有名ですよね そうなんですよ。一体どのようにして、攻略していったのか見てみましょう。今回も『信長公記』を基に解...
1