足利義昭– tag –
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合戦解説と時々考察
信長公記 解説 太田牛一 写本私的翻訳 1573年 室町幕府 崩壊
【松永久秀 赦免】 1573年 冬に松永右衛門佐が赦免により多門の城を明け渡した。ただちに山岡対馬守が定番のために多門に赴いた。 正月8日 松永弾正 美濃の岐阜城へ罷り下り、天下無隻の名物 不動国行を進上して礼を述べた上に以前には世に隠れ... -
合戦解説と時々考察
信長公記 解説 太田牛一 写本私的翻訳 1572年 虎御前山 築城
【北近江 出陣】 1572年 3月5日 信長公 北近江に出陣され、赤坂に陣取り、次の日横山に至りて着陣。 3月7日 敵城 大谷と山本山の間 50町には過ぎず、その間へ進入し、野陣を張られた。余呉・木本に放火した。北近江の諸侍皆々は、このような余... -
合戦解説と時々考察
信長公記 解説 太田牛一 写本私的翻訳 志賀の陣
【合戦の背景】 姉川の戦いにて、浅井・朝倉軍に勝利した織田軍であったが、浅井・朝倉はすぐにでも軍勢を出してきた。 【志賀の陣】 9月16日 越前の朝倉、浅井備前守軍勢3万が坂本方面へ攻め寄せた。森三左衛門が宇佐山の坂を下り、迎え撃ち、坂本の... -
合戦解説と時々考察
信長公記 解説 太田牛一 写本私的翻訳 金ヶ崎の戦い 1570年
今回は、越前朝倉家との戦いで、途中から撤退戦になります。 なんで撤退したのですか? ある重要な人が裏切ったんですね。信長公記を基に見てみましょう 【合戦の背景】 足利義昭を奉じて上洛した信長 諸将に上洛するように頻りに促していたが越前の朝倉... -
合戦解説と時々考察
信長公記 解説 太田牛一 写本私的翻訳 観音寺城の戦い 1568年
観音寺城は、六角氏が治めるお城ですね どんな戦いだったのでしょうか? 詳しい記述はあまりないのですが、信長公記を基に見てみましょう 【合戦の背景】 足利義昭は、はじめに六角氏、朝倉氏を頼っていたが中々上洛を果たせずにおり、織田信長に頼ること...
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